大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和31年(あ)684号 判決

上告人

被告人 菅原喜代男 外四名

弁護人

佐伯静治 外一名

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人佐伯静治の上告趣意及び弁護人林信一の上告趣意第一点は違憲をいう点もあるが、その実質は結局被告人らの所為は労働組合法一条二項の正当な行為に該当するというに帰し刑訴四〇五条の上告理由に当らない(そして原判決の適法に認定した事実関係の下において被告人らの行為は労働組合法一条二項の適用によつてその違法性を阻却されるものとは解されないとの判断は正当であつて所論の違法は認められない)。

弁護人林信一の上告趣意第二点は事実誤認の主張を出でないものであり、第三点は単なる法令違反の主張に帰し(原判決が適法に認定した事実関係の下において本件被告人らの所為は正当防衛ないし緊急避難の要件としての急迫性を欠きやむことを得ずして行われたものとはなし難いとの判断は正当と認める)、いずれも刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

よつて同四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 真野毅 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 入江俊郎)

(弁護人佐伯静治の上告趣意)

原判決には憲法(並に法令)の解釈適用の誤りがある。

(一) 原判決は「かりに高田、太田両副長に不誠意があり、同人等に対する所謂要求のための交渉が正当な争議行為であるとしても」「被告人等の行為は当時の諸般の事情を考慮に容れても、なお社会通念上許容される限度を超え、労働組合法第一条第二項の正当な行為とはいい得ない」と判示しているが、この判断は労働組合法第一条第二項ひいては憲法第二八条の解釈適用を誤つたものである。

(二) 労働組合法第一条第二項にいう正当な行為とは相対的流動的なものである。「第二項は、憲法第二八条の団結権保障に関する規定の具体化であるから、この法律の目的の範囲内における争議行為として『正当なもの』については、刑事責任を問題としないのは当然である、という趣旨を定めたものと解せらる。しかして争議行為は、集団的流動的な事実行為である限り、争議行為が実質上ある程度使用者の業務妨害の効果を有し、また職場占拠住居侵入その他ある程度の実力行使を伴うことは避けがたいところであるが、これについて一般刑罰法規を適用することは、争議行為そのものを否定する結果となる。したがつて争議行為に必然的に随伴するこれらの事態は、明らかに暴力的行為にわたらないかぎり、一般刑罰法規により罰してはならないというのが、この条第二項を、わざわざ自明のような文言をもつて規定した趣旨である。」(菊池勇夫、林〓広、法律学体系コンメンタール篇「労働組合法」四〇頁)従つて、「正当性を判断するについては、労働組合の行為特に争議行為は使用者との対抗行為であり、かつ集団的・流動的な性格をもつものである点に着目し、憲法第二八条およびこの法の趣旨と、刑罰法規の趣旨とを勘案して決定すべきである。」(同書三五頁)このように、「積極的実力行使」は常に許されないとする原判決の解釈は誤りである。勿論さればといつて如何なる「積極的実力行使」も常に許されるとも考えてはいない。それが如何なる程度に許されるかということは、右に述べたような点に着目し、具体的場合毎に判断しなければならない。この具体的な態様を無視して、常に固定的に争議行為の手段、方法の正当性の範囲を限ろうとする考え方は、往々労働組合の側にのみ不利益を強いる結果となり、労働組合法第一条第一項に明定する斯法の根本理念であり、且つ基本的な目的である労使対等の立場を失わしめ、労働組合の団結権を不当に圧迫するおそれが多分にあると云わねばならない。このような争議行為の正当性を認定するに当つて考慮すべき要素としては、たとえば、使用者側に責むべき事由があつたかどうか、(責むべき事由とは、いうまでもなく、違法行為というに限られず、社会的に非難される行為、争議のルールに外れた行為等をも含む)暴力行為があつたかどうか、労使双方の得喪する利益の性質、程度、緊急性の有無、程度、争議の全体としての状況等が一応考えられる。もとより具体的場合毎に考えられるべきことであるから、この要素を限定的に列挙することもできないし、また、これらの要素の一つが欠缺すればそれだけ正当性の巾が縮減するという程機械的なものでもないが、ともかくこのようないろいろな諸要素が充分考慮せられるべきである。

右のように争議行為が対抗的・流動的なものであることを考慮するときは「争議行為の正当性の問題を考える場合に考慮に入れなければならぬ一つの重要な要素は、その行為をひきおこすについて使用者側に責むべき事由がなかつたか、どうかということである。たとえば、ストライキ労働者の切りくずしのために使用者が労組法七条三号の不当労働行為―労働組合の結成・運営に対する『支配・介入』―の挙に出ることは、しばしば見受けられる。……使用者側がこういう違法行為に出た場合に、労働者側が、これに対してストライキを防衛するために、ある程度の強硬手段に出ることは、自救行為として、あるいはいわゆる『緊急状態行為』として、許容されなければならない場合が多い。むろん、使用者側の右のような違法行為に対して、労働者側には、れいの不当労働行為『救済』手続を利用してこれを争う権利―理論的には―がみとめられている。けれども、労働争議というものの性質からいつて、『救済』を得るまでに何カ月もかかるこのような方法が、ストライキ権ないし争議権の防衛手段として、現実的意義を有しえないことは明らかである。従つて、労働者側としては、現実的には、使用者側の違法行為に対抗して、自力をもつて(事実上の行動をもつて)ストライキ権を防衛しなければならぬ立場におかれるわけである。こうした場合には、使用者側にそのような違法行為のない場合に比べて、労働者側の争議行為の『正当』とみなさるべき範囲が拡張されることは当然なのである。

右にあげた使用者側の労組法七条三号違反の行為というのは、前記、使用者側の『責むべき事由』の一つの例である。その他、使用者側が労働協約中の争議に関する協定に違反したとか、正当の理由なしに組合側の団体交渉の申出を拒否したとかいうような場合にも、右にのべたところと似たシチユエーシヨンが生れる。」(磯田進、岩波新書「労働法」一一版一八〇―一八二頁)従つて会社側に責むべき事由があるか否かは、労働者側にそれに対抗する争議行為がどの程度許されるか、いい変えれば労働者の争議行為の正当性の限界を認定するのに考慮すべき重要な要素の一つなのである。

(三) そこで、原判決のいう「当時の諸般の事情」を見ると、これは当弁護人の原審控訴趣意書第一点に詳細に述べられているが、

(1) 本件は昭和二八年における全国的な石炭産業の企業整備に対する反対斗争の一環として起きたものであるが、当時行われた企業整備は整理される労働者の失業と残る労働者の労働強化という労働者の一方的負担によつて資本の利益を守ろうとするものであるから、労働組合として激しい反対斗争に立ち上らざるを得なかつた(里谷証言)。しかも、本件会社(北海道炭鉱汽船株式会社)は、二八年五月中本社の深谷労務部長を北海道に派遣し、札幌及び各山に於て、企業整備を行わないことを言明し組合に協力を要請したが、殊に本件神威鉱に於ては、桜沢一番斜坑主管変更についての交渉に於て、同年七月一九日、企業整備を行わない旨を文書によつて確約した。ところがその舌の根もかわかぬ八月一一日に、突如として企業整備を行うことを発表したのであるから、労働組合側の憤満はことに大きなものがあつた(里谷、高橋各証言、乙一四号証確認書)……控訴趣意書第一点(一)(1)

(2) 本件行為は直接には、高田・太田両副長の企業整備遂行のためのビラまきを阻止することを目的とし、且つその際に起つた負傷者の措置をめぐつて起つたものである。太田副長が北辰寮に於て、以後ビラをまかない旨口約したことは一審判決の認定するところであるが、それにもかかわらず両副長等は美山町方面にビラ撒きを続行した。少くとも労組員等がそう信ずべき情況にあつた(中島・山下・奥村の各証言)。従つて労組員等が強くその停止を求め、そのビラの引渡を求めたことはまことに当然の成り行きであつて行きすぎということはできないであろう。……控訴趣意書第一点(一)(2)

(3) さらに本件の直接のきつかけとなつたのは、両副長が乗用のジープを労組員と激突させたことである(下山・奥村・植木・石田の各証言、鈴木の検察官に対する供述調書)。これを百歩譲つて両副長等の故意によるものではないとしても、負傷者まで出ている以上両副長とも少くとも遺憾の意を表するのが当然であろう。しかるにそれさえなさず、太田副長の如きは直ちにその場から逃げ去つたのであるから、労組員等が、副長の謝罪と負傷者に対する措置を強硬に要求したのはまことに当然である。……控訴趣意書第一点(一)(3)(4)

本件はこのような背景、原因、動機の下に発生したのであつた。

(四) そこで、一方被告人等組合員の行動を見ると、もとより原判決の事実の認定はそれ自体甚だ誤つているのであるが(控訴趣意書参照)一応原判決の認定する事実によつても、被告人等の所為は労働者の団結力の示威であるに他ならない。本件の場合暴行は勿論のこと暴力的行為のなかつたことは判示事実を見ても明かである。原判決は「多衆の威圧」ということをいつているが、単なる「多衆の威圧」であるならば労働組合の場合においては団結力の示威にすぎないのであるから、それは労働組合にとつては当然正当な行為として認めらるべきものである。「多衆の威圧」が労働組合法第一条第二項の正当行為でないとされる場合は、不法な威力を示す場合であるが、本件の場合は被告人等がかかる不法な威力を示した事実は何ら認定されていないし、事実も存しない。もし、これらの行為が一般の社会でのできごと(たとえば愚連隊と一市民との間で)であつたならば、それは行きすぎであり、相手方に相当の脅威を与えたであろう。しかし、被告人や他の組合員等と相手方たる高田副長とは同じ職場で働き同じ社宅に住み、時あらば坑内で生死を共にするという関係にあるのであるから、行きずりの暴漢に対するとは異なり、そこに自ら行動の統制と限界とについての信頼が存するのは当然である。従つて相手方に与える脅威もまた自ら異なるものがあるはずである。また「包囲」というが、多勢の組合員が参集している以上、自ら包囲されるのは自然の理であつて、これも自然の結果であるにすぎない。ビラの引渡を迫つたことも「執拗」であつたと認定しているが、前示の如き事情の下では或程度強要的になつたとしても、それだけで不当であるとして非難することはできないであろう。そうしてまた、そうした事態が起つている以上組合の参集を求めるのは返つて当然のことであろう。被告等の行為は判示の通りとしても労働関係として規律される限界を全く逸脱してしまつたということはできないであろう。

(五) 被告人等の行為が判決の認定するとおりであるとするならば、その行為にやや行きすぎの感がないでもないが、しかし、以上のような本件の背景、原因、動機と、被告人等の行動とを前述の労働組合法第一条第二項の法意に照して考え合わせるならば、本件の如き具体的事情の下においては、被告人等の行為はいまだ以て労働組合法第一条第二項にいう正当の行為の範囲を逸脱したものということはできない。それなのに原判決が「諸般の事情を考慮に容れても、なお社会通念上許容される限度を超え」るとして漫然と正当行為たることを否定したのは、労働組合法第一条第二項の解釈適用を誤り、ひいては、憲法第二八条の団体行動権の保障の解釈適用を誤つたものである。

(弁護人林信一の上告趣意)

第一点 原判決は憲法第二十八条及び労働組合法第一条第二号の解釈を誤つた違法がある。

本来憲法第二十八条は、契約自由の原理の下において労働者は、とうてい使用者と対等の立場に立つて交渉することができない事実に着目し、通例の自由権の範囲内ではみとめられない労働三権を社会権として保障し、これによつて、労働者を使用者と対等の立場に立たしめようとするにある。従つて、この労働三権はその性質上、各種の自由権や財産権に対する制限を当然に伴うものと解される。従つて又右三権の実現自体が市民的自由、市民的権利の制限の上に成り立ち、且つそれらとの衝突に於て優位にあるものと理解される。本条を解するに当り、たやすく十八世紀的、自然権的自由権の観念をもち込んで、基本的人権保障の観念を逆転回させてはならない。

更に右のことは、労働組合法第一条第二項の解釈についてもいえる。

同条同項は右憲法第二十八条を承けて、汎く労働者の行う団体行動につき、刑事上の免責を確認している。当然のことである。従つて本項但書を解するについても、市民法に所謂暴力の概念を、直ちにあてはめることは許されない。暴力の行使は直ちに違法と解するのではなく、具体的に事情を判断して、社会通念上許容される限度にあるかどうかを確め、違法性阻却の有無を論じなければならぬ、とする。これすでに貴庁大法廷の判例とするところである。(集七6一二八九)

今本件の具体的事情なるものを記録によつて検討してみる。

(1) 紛争の原因

本件はそもそも昭和二十八年北海道炭鉱汽船株式会社による、従業員三千名の人員整理に反対して、北海道炭鉱汽船労働組合連合会がその傘下組合をあげて、斗争している、その緊迫した状勢を、その背景とする。右に所謂人員整理反対斗争、企業整理反対斗争(企斗)は、ひとり北炭労連のみのものでなく、全炭鉱経営者対全炭鉱組織労働者、という全国的規模において展開されていた。被告人等の所属する神威炭鉱労働組合は、その一環として、労働者連帯の意識において、会社と拮抗していた。

かゝる緊迫した折に本件が発生した。即ち高田、太田両副長による希望道職者募集のためのビラ配布の、阻止を廻つて本件が発生したのである。

而してこゝに附陳すべきは、右ビラ配付阻止乃至は右ビラ引渡要求の正当性である。前記両副長は右ビラをジープを駆つて配附したが、組合員に阻止され北辰寮に於て、一旦これを断念すべきことを約した。

然るにその後の両副長の行動は、組合員に、依然ビラ配布の継続を、推認させるものであつた。かゝる場合、組合員として、そのビラの引渡を求めることは、組合の争議行為として、正当なものであり、何ら咎められる筋合のものでない。

然も事は、組合員等の右両副長に対する、ビラ配付阻止のため、ピケツト・ラインを、右両副長が突破しようとして、ジープを突入させ、負傷者を出させたことに、端を発する。組合員大衆が憤激し、これを取り囲んで難詰する、蓋し自然の勢である。原判決にも認定されるように、副長の脱出不能の状態は、組合員大衆によつてすでに作出されたのであつて、被告人らの指示、指揮によるものではない。

(2) その態様

前述のように、本件は被告人らの手から離れて、すでに包囲の状態が作られてあつた。この時は午后一時五十分頃。而して小池、国分放送後は被告人らは、いづれも解散の為に、右国分の指示の下に、努力している。この時は午后三時半乃至四時頃(小池、池本、加藤、国分証言)。してみるとその監禁の時間は一時間半乃至は二時間のことで、この種の事案に見られるような徹夜とか、十数時間にわたるものとは、甚しく異る(これを例えば、御庁25、7、6集四4一一八七、26、8、9集五9一七五〇、28、6、17集七6一二八九、福高29、3、30高集七4五四七)。しかのみならず、本件にあつては何ら身体に直接の、物理的有形力の行使のあとはない。却つて被告人高谷から煙草をもらつて喫つてさえいる。(中島証言)

(3) 被告人らの加功の程度

原判決は、被告人等が交々高田副長(太田副長とあるは誤り)に対してその所持するビラの引渡を執拗に迫り、組合員等とともに、脱出不能の状態を継続した、と認定したのであるが、右は被告人等の真意とその行動とを正確にしていないそしりを免れない。

被告人等はいづれも組合の役員である。

目の前の事態からの逃避は許されない。

組合員の要求を組立て、秩序あるルートにのせて交渉に移す、よつて以て右事態の終熄を図ろうとする、こゝから被告人等の行動が生れている。単に組合員等の暴挙に出ることを阻止したゞけ、に止るものでない。原判決はこの点、無条件の解散が可能であるとでも考えているようだが、とすれば甚だ事態に対する認識は甘いといはねばならない。

小池鉱長、国分副委員長の単なる解散要請に、組合員大衆が如何に怒つたか、そして結局、現場にある大衆の声を集約し、これを別席で高田副長出席の上交渉する、ということで漸やく解散させることができた(国分証言、小池証言)。

被告人等の行為は以上の点から理解されなければならない。違法事態を違法ならしめる為に行為したのではない。

以上要するに、本件にいう監禁なるものは未だ以て、労働組合法第一条第二項但書にいう暴力の行使にもあたらなければ、又憲法第二十八条で保障されている団体行動権の範囲を逸脱するものでもない。

原判決は事態の暴力性を、多衆の威圧下に約三時間も脱出不能の状態を継続させたという点に求めているようであるが、争議において多衆の威力は概念要素であり、同義語である。又三時間はこの具体的状況下にあつて決して社会通念上長いとされる程のものではない。

前に述べたように、労働三権は古典的、市民的自由権の中からそれらの矛盾概念として生れてきたものである。それらの自由権に対して強制や拘束を加えることを内容としている。殊に争議行為における組織的威力において著しい。

従つて、労働組合員の争議中の団体行動につき、刑事責任を問う為には、厳格に前記法条を解釈し、いやしくも、労働三権を実質的に否定するが如き誤りに陥つてはならない。

然るに原判決は、前記法条を解釈するに当り、安易に「社会通念」をもち出し、本件事態を以て右社会通念の限度を超えたりとするが、憲法第二十八条及び労働組合法第一条第二項の趣意からすれば、原判決の認定していた事態は未だ以て、社会通念の限度を超えたりとされるべきものではない。

即ち原判決は憲法第二十八条及び労働組合法第一条第二項の解釈を誤つた違法があり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。到底破棄を免れない。

(その他の上告趣意は省略する。)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例